戦  間  期  論  (5)      2017年4月25日

日本防衛策
日本を防衛するにはどうしたらよいのか。
1、自衛隊は北鮮軍に勝てるか。
 勝てません。北鮮軍1万人と自衛隊1万人が平原で通常兵器で衝突した場合、最初の1時間で双方2000人の戦死者が横たわるでしょう。そのとき戦場体験のない自衛隊員は死体山積みの中で恐怖に戦慄し総崩れとなって後退を始めます。逃げるために邪魔な武器を捨てて戦場離脱をしようとします。その後は北鮮軍は逃げる自衛隊員の背中を兎撃ちにするだけです。持ち場を死守せよと命令を出しても浮き足たつ者は逃げるだけです。逃げ足の速い者は逃げおおせますが、多くは殺されるか捕虜にされます。戦いの終わった戦場には北鮮軍戦死者2000人、自衛隊戦死者5000人、自衛隊捕虜3000人が残ります。自衛隊の逃げ足の速い2000人は戦場離脱が出来るでしょう。関ヶ原もこんなようでした。
 自衛隊員捕虜3000人は殆ど負傷していますが、情報収集の必要から将校300人は捕虜として後送されますが、残りは現地処分されます。大日本帝国陸軍の伝統的やり方と同じです。朝鮮戦争の停戦のとき捕虜交換がなされましたが、米兵捕虜の数が予想より少なかったので、未だに米兵捕虜が北朝鮮に残留させられているのではないか、という捕虜家族の希望的観測が未だにあります。実際には捕虜の現地処分がなされたのです。
 何故自衛隊は弱いのか。戦争体験即ち人殺しの体験がないからです。
 太平洋戦争のとき、日本軍は強かった。玉砕するまで戦い続けました。日露戦争の体験があったからでしょうか。違います。太平洋戦争従軍者の中で日露戦争の経験者は山本五十六ただ一人です。山本五十六は日本海海戦に従軍し指二本を欠損しています。
 太平洋戦争従軍者は日中戦争従軍者で中国で人殺しの体験を積んでいました。新兵は中国に来てから杭に縛った捕虜やスパイに対して銃剣刺殺訓練を受けて人殺しの体験を積みました。これは明らかに戦時国際法違反ですが、帝国陸軍はこのようにして兵隊を強兵に訓練したのです。人殺しの体験があるからこそ戦場で平気で人殺しが出来るし、同輩の死体を見ても怯まない平常心が培われるのです。
 北鮮軍兵士はもう朝鮮戦争体験者はいません。ベトナム戦争やアフガン戦争に義勇兵として参戦した者はいるでしょうが少数です。しかし、犯罪者や反体制者の処刑は銃殺です。北鮮軍兵士は銃殺を体験することで人殺し体験を積んでいる強兵なのです。金正恩の叔父は重機関銃で処刑され、肉体は飛散したようです。韓国兵は何度も脱走抵抗事件をおこしています。上官の過酷な命令に反抗して一部隊単位で反乱を起こし立て籠もって鎮圧部隊と銃撃戦をしました。最後は投降しましたが、反逆罪は銃殺刑しかありません。韓国兵は同僚の処刑を通じて人殺し体験を積み強兵となっています。北鮮軍兵士も同じです。
 
2、国民のレジスタンスはあり得るか。
 天皇と政府が金正恩に降伏し、自衛隊や国民に降伏を命令し、自衛隊員に捕虜となって北鮮に行けと命令したとき、自衛隊員は全員服従するでしょう。山に閉じこもって抵抗するレジスタンスを組織する者はいません。その体験がないからです。北鮮占領軍は人質を取り降伏しなければ人質を殺すと脅迫するでしょうが、そうしなくても自衛隊員は天皇と政府の降伏命令に服従します。天皇と政府の命令に抵抗した歴史的体験がないからです。マッカーサーの占領時代と同じことで、鬼畜米英からすぐにギブミーチョコレートに変わる。金正恩の日本占領は容易である。
 1940年ドイツがフランスを侵攻したとき、大統領ペタン元帥は敗北思想に捕らわれ降伏をしてしまった。国防次官ドゴールはイギリスに空路脱出し、ロンドンにフランス臨時自由政府を樹立しフランス国民にレジスタンスを呼びかけた。ペタン大統領は国民にドイツへの服従を命令していたので、ドゴールを反逆罪に問い欠席裁判で死刑判決を下した。ペタン大統領の命令を受けたフランス警察はドゴールの指令に従って決起したレジスタンスの勇士を捕らえては公開銃殺刑に処した。フランスの工場はドイツの兵器工場に転換されフランスは対独協力国となった。ドゴールがいなければフランスは戦敗国になるところであった。戦後処理でフランスはドイツイタリアと並び戦敗国待遇となり、英米の占領下になるところであったが、ドゴールの活躍で戦勝国となり、国連の五大国仲間に入れた。ドゴールは気位の高い男であった。英米と渡り合い、亡命政権に過ぎないフランス臨時自由政府を承認させ連合国軍の一員に認めさせ、パリ解放の時は一番乗りの名誉を獲得した。かくして、第二次世界大戦の構造は、英米仏ソ連対日独伊となり、ペタンのフランスはポーランドと同じくドイツの被支配国となったが、ドゴールのフランス臨時自由政府はフランスの代表権を英米仏ソ連に認めさた。その代償としてドゴールの空軍はソ連防衛にソ連まで遠征した。
 ドゴールは戦勝後ペタン大統領とラバル首相を捕らえ反逆罪で裁判にかけ死刑判決が下された。ラバル首相は死刑執行されたが、ペタン大統領は老齢故に終身刑に減刑された。
 太平洋戦争のとき日本にドゴールのような男はいなかった。誰一人天皇と東条英機の戦争命令に抵抗した者はおらず、国民全員が特攻隊になった。金正恩が日本占領しても日本国民がレジスタンスを行えるとは思えない。
 ドゴールが決起したとき最初に応援に駆けつけたフランス人は海外植民地にいたフランス人達であった。フランスはアフリカと東南アジアに広大な植民地を保有していた。ドイツはフランスを降伏させたが、植民地までは手が届かなかった。各地のフランス植民地は、ペタンにつくものとドゴールにつくものに分かれた。ドゴールにつくものは最初少数であったが、やがてアフリカで多数を占めていく。
 太平洋戦争開戦のとき、在外日本人は多数いた。しかしその中から天皇と東条英機の開戦に抵抗して日本臨時自由政府を樹立して連合軍と連帯して天皇と東条英機の東京政府を打倒する為に決起した日本人は一人もいない。1942年1943年と二回日本は英米と交換船を仕立てて、双方の官民在外短期居住者の交換をおこなった。南北アメリカやアフリカ、インドにいた日本人外交官、実業家、商社マン、留学生その他家族が交換されたが、帰国を拒否した日本人は一人もいなかった。海外で生活していたのであるから日米の国力の差は分かっているはずある。またファシズムとテモクラシーの違いと世界的趨勢も知っていた筈である。しかるに在外日本人全員が帰国して語学才能を見込まれ軍や政府の要所に採用され聖戦貫徹に奉公するのである。
 在米日本人の中で一人だけ帰国しなかった者がいる。大山郁夫である。1880〜1955
大正から戦前に無産運動を組織し労働農民党委員長となるが、頻発する右翼テロを避けるためにアメリカに亡命していた。帰国すれば特高警察から予防拘禁を受けるとは必定であった。アメリカ政府は居残る大山をドゴールにすべく接触するが、大山はこれを峻拒した。左翼運動の闘士、隠れ共産党とも言われた男が天皇に対して反乱が出来なかったのである。戦後ぶらぶらと滞米してからおもむろに帰国すると、国民は英雄として大歓迎した。参議院議員となりスターリン平和賞をもらった。彼に対して何故ドゴールにならなかったと批判する人は一人もいなかった。戦争犯罪者達は一億総懺悔と言って責任を転化したし、そもそも日本人は全員戦争協力者で有りドゴールのような発想を持つ人は一人もいなかった。ソ連にいた野坂参三はドゴールのように日本臨時政府を延安に樹立することが出来たが、しなかった。日本兵捕虜に政治教育をしただけで、日本人レジスタンス軍を創設することをしなかった。彼はスターリン暴圧下で仲間を裏切り一人命長らえて精神を害し日本国の利益を考える精神的余裕を失っていたのである。
 居留権を持ち長期在留していた日本人の内、西部居住者は強制収容所に終戦まで収容されたが、ドイツと戦うことを志願した日本人の連隊はドイツ戦線に派兵された。米軍連隊の中で最悪の戦死率を記録するほど勇敢に戦った。
 私なら、ドゴールを見習い、在米日本人を組織して日本臨時自由政府を樹立し、米軍と共闘し、その過程で、日本軍兵士に対する反戦宣伝工作、都市爆撃や原爆投下に反対してルーズベルト大統領に対して身を挺する工作を行ったであろう。日本臨時自由政府軍が東京に一番乗りして非戦闘員市民の保護に当たり、英米ソ連の助けを借りずに、自ら戦争犯罪者を捕らえて東京戦犯裁判をしたであろう。
 
3、天皇と閣僚を捕らえての東京占領、あるいは嘉手納基地横田基地横須賀軍港への水爆攻撃による日本本土の壊滅という事態がありうる。
 北鮮から日本列島を見ると、弓の形をしている。何処を狙ってもどこかに当たる。日本の後背地がないように見える。日本人が日本列島から押し出されれば、太平洋に溺死するしかないように見える。第二線を持たない前線は必ず崩壊する。
 しかし、小笠原諸島がある。ここに自衛隊主力を移動させておけば、東京が占領されても、小笠原島を基地として日本奪還作戦が可能である。そのためには発電所、造船所、軍需工場、飛行場、軍港を建設しておく必要がある。
東京が占領され、あるいは水爆で全滅となっても、小笠原諸島に自衛隊がおれば、現地臨時軍政府を樹立し、本土奪還作戦が可能であり、そうすれば金正恩に対する牽制策として有効となる。金正恩のミサイルも小笠原島までは遠すぎる。

4、消防民兵団
スイスには正規軍以外に民兵団がある。定期的に軍事訓練を受けており、いざとなればアルプスに立てこもり抵抗することになっており、もう何百年の歴史がある。この民兵団が強いからヒトラーもスイス侵攻を断念した。
 自衛隊は戦力20万人しかおらず、金正恩の侵攻次第でどうなるか分からない。捕虜になって北鮮へ連行されるやもしれない。消防団という民間奉仕団体があるが、これを基礎として片手にホース、片手にマシンガンという100万人の消防民兵団が建設できれば金正恩は日本侵攻を断念するかもしれない。
 第一次元寇の後、鎌倉幕府は博多に築城して防衛陣を強固にし、第二次元寇に耐えた。金正恩の最近の行動にもかかわらず、国防力強化が検討されていない。アメリカからミサイルや戦闘機を急遽輸入しても、肝心の自衛隊が天皇命令で全員降伏することもありうる。レジスタンスの母体となり得る消防民兵団が必要である。東京が降伏してもある地方は戦闘続行できるよう戦闘母団の散開が必要である。
 太平洋戦争の時の本土決戦戦術である。あの時は本土が米軍の侵入により分断されることが予想され、全国を地方ごとの軍団に編成し直し、東京司令部が壊滅しても各地方で独立戦闘ができるようにした。
 金正恩の北鮮軍は日本を占領するとき、原発を占拠して恫喝の種に用いるであろう。地方の消防民兵団は原発防衛に有益である。現在自衛隊は原発防衛をしていない。警察が担当しているが、腰ピストルしか武器を持っていない。マシンガンで突撃してくる北鮮軍兵士に勝てない。マシンガンの消防民兵団が原発に立てこもり防衛する。
 日本国憲法に追記が必要である。
 天皇および政府は外国に対して降伏することを禁ずる。
 組織された民兵の武器所有の権利および国土防衛の権利はいかなる場合にも奪われない。アメリカ憲法並にする。