戦  間  期  論  (7)      2017年12月1日

戦機を逸したか。金正恩
 2017年9月15日のロケット実験以来、11月29日まで金正恩は沈黙をしていた。この間にトランプ大統領の訪日韓中があり、北朝鮮の中央放送は罵るだけである。11月29日最長距離のICBMを発射し、金正恩の戦争政策の変更ないことを明白とした。アメリカ大陸まで到達しうるミサイルを開発した。
金正恩の戦機はこの2年間であった。2年前イスラム国はシリア・イラクの半分を占領し国家としての体裁を整え、住民を弾圧し、反対者を処刑した。羊となった住民には課税し、或いは奴隷化した。イスラム教シーア派や多神教徒に対しては悪魔を崇拝する異教徒として弾圧した。
 しかし、イラク政府軍、ロシアが支援するシリアのアサド政府軍、アメリカが支援する反政府軍、クルド自治軍、の攻撃により、次第に劣勢となり、現在僻地に追い詰められた状況に陥り、一地方政権となり、もはや国家としての体裁を喪失した。
 日本はドイツとの軍事同盟を締結してから太平洋戦争を開戦した。ドイツは欧州を取れ、日本はアジアを取るとの軍事同盟なのであった。
 私は、金正恩がイスラム国との軍事同盟を締結し、イスラム国に水爆とミサイルを売却し、東西で同時に戦争を起こし、世界大乱を引き起こすものと予測したが。これは外れた。イスラム国の戦争戦略と金正恩の戦争戦略に時間的齟齬が発生したからである。
 この2年間金正恩が狂奔したことは、水爆実験とミサイル開発である。ようやく最近完成の域に達したようであるが、イスラム国に売却できるだけの備蓄が出来ていない。この2年間金正恩とイスラム国の間に如何なる外交交渉があったかは知られていない。イランやパキスタンを通じて何らかの交渉が有り、水爆ミサイル売却話が進展していたであろう。しかし、金正恩が納期を守れないうちにイスラム国が崩壊し始めたのである。イラクとシリアの半分を占領し、石油産地も押さえて潤沢に資金を得たであろうイスラム国も今や貧乏人である。金正恩に払う資金は枯渇しているであろう。イスラム国は一旦イラクとシリアから脱出するであろう。行き先はリビア、アフガン、モロッコ、サウジ、アフリカ諸国であり、秘密組織を育成し、過激思想を流行らせ、過激派を再生させ、全世界でテロを繰り返すであろう。アルカイダとの統合もあり得る。このために何年間かを必要とし、金正恩の戦機に間に合わないこととなる。イスラム国との軍事同盟による共同同時世界戦争を諦め、単独で開戦する勇気があるだろうか。勇気はないが蛮気はある。叔父も兄も殺した男である。
 此の結果、金正恩の戦機は当分去った。日本の株価も上昇し続けるであろう。なにしろ、企業業績は好調なのである。北朝鮮不安が株価を押し下げていたが、それがなくなったから、上昇するのは当たり前である。日経平均年末28000円はあり得る。
 太平洋戦争開戦時に、東条英機と山本五十六はドイツとの軍事同盟を頼りとして世界同時戦争を始めた。1941年アメリカは最後通牒ハルノートを日本へ送りつけ、中国から撤退しなければ石油と鉄を禁輸すると通告してきた。石油が禁輸されれば日本艦隊は1年半分しか石油在庫を持たない。これでは戦争が出来なくなる。ならば中国から撤兵すればよいではないかというのは現代の発想であるが、当時は中国懲罰論が蔓延しており、日中戦争を停止しようとする議論する者は国賊と非難され命さえ危うかったのである。陸軍は対中戦争積極派、海軍は消極派と見なされ、海軍の山本五十六は右翼テロの危険性があった。山本五十六が真珠湾攻撃に成功したとき、世論は山本五十六を腰抜けから英雄へと最大限に持ち上げた。当時の日本国民は平和主義者ではなく、武力で中国を占領しようとする帝国主義者であった。国民全部がそうであった。だから反戦運動もおこらず、徴兵忌避者もいなかった。国民は軍国主義者の犠牲になったという戦後の意見があるが、国民全員が軍国主義者だったのが事実である。
 日本共産党は反戦を訴えて闘争し治安維持法違反で全員逮捕され刑務所にいた。宮本顕二委員長などは獄中で17年間拘束され、戦後釈放された。筋金入りの反戦主義者であると言う人がいる。日本共産党は国際共産党の日本支部として設立され、日本共産党員はモスクワの東洋労働者大学に留学し、暴力革命戦術と軍事訓練を受けた。目標はレーニンとスターリンの暴力革命方式を日本に持ち込むことである。選挙で選ばれた国会を破壊し国会議員を逮捕すること、支配階級である皇帝一家と資本家を処刑すること、、国会の廃止に対して左右の中間である自由主義者が反対したら、自由主義者までも処刑してしまった。要するに日本共産党の目的はロシア革命を日本で再現することであり、共産主義者は反戦主義者ではなく、最も悪質な戦争主義者であった。その罪はヒトラーにひとしい。今日の日本共産党はこの路線から脱却しているが、未だに共産の党名を名乗る訳が分からない。
 1941年12月8日太平洋戦争は開戦となった。1941年6月から始まった独ソ戦はドイツ軍の優勢のまま推移しており、日本軍は早く参戦しなければ儲けが少なくなるという動機から開戦推進派が多数であった。しかも、ドイツの敵ソ連を攻撃せずに、英米の支配するアジアを目標とした。アジアの権益を支配して大東亜共栄圏という完結した経済圏を建設しその盟主にならんとしたのである。ヒトラーは失望したであろう。日本軍がソ連を攻撃してくれれば独ソ戦は有利に展開するからである。またアメリカをを第二次世界大戦に引き込む結果となり、アメリカのモンロー主義を頼りにアメリカは参戦しないことを期待して構築した対英国、ソ連戦争の構想に破綻が生じた。真珠湾攻撃の報道を受けたとき、ヒトラーは茫然自失だったであろう。欧州戦争が世界大戦になってしまう。ヒトラーは日本を責めたくなったが、やめて時勢の流れにドイツ民族を任せることにした。日独伊三国同盟は、一国が敵国から攻撃されたとき、他国が応戦する義務を定めたので有り、一国が他国を攻撃した場合の参戦義務を定めていない。従ってドイツは条約上アメリカに対する宣戦布告をする義務はないのであるが、12月11日独伊は対米宣戦布告をする。かくして欧州戦争は世界戦争に発展し、世界の民族は戦争の帰趨に運命を賭けることになった。日本の責任は大きい。東条英機と山本五十六と天皇の責任である。
 歴史にイフはないが、もしも昭和天皇が開戦に嫌気がさし、病気を名目に引きこもり開戦詔勅の署名を忌避したらどうなっていたであろう。昔の天皇の中には政変の時比叡山や吉野の山に引き籠もった天皇もいた。2.26事件の時は天皇は陸軍若手将校に忠臣の大臣を殺され、怒り心頭に発し、自ら鎮圧に赴くとさえ公言したほどであり、言いなりになる人ではなかった。天皇もドイツが勝ち、日本も勝つと信じたのである。勿論東条英機と山本五十六が上手に吹き込んだ結果ではある。しかし、もし負けたら自分は絞首刑になるやもしれないと、日本の皇統を自分の代で終わらせる訳にはいかないと気がつけば、開戦延期策→独ソ戦の戦況模様眺めの策に出るであろう。1年がたつと、ドイツ軍はモスクワとレニングラードの占領に手間取り、戦線を転じてスターリングラードに向かうが、市街戦に勝利できず、勇敢なソ連狙撃兵によりドイツ将校は次々と倒れた。降雪によりスターリングラードのドイツ軍への補給は不可能となり、遂に1943年1月ドイツ軍10万人は降伏して捕虜になったが、ソ連軍の過酷な待遇により戦後帰国できたのは5000人に過ぎなかった。
 1年間天皇が病気を装い独ソ戦の戦況模様眺めに徹していれば、独ソ戦の帰趨が読めるようになる。東条英機も山本五十六も英米との戦争を断念するであろう。そのとき中国からの撤兵を決断しておれば、二人も大日本帝国も長生きしたはずあるが、日中戦争勝利を叫ぶ世論は撤兵を決して許さない。撤兵すればこれまでの戦死者に対して申し訳ないとの論法がまかり通るのである。1年たてばいよいよ石油が逼迫してくる。しかし、ドイツが敗北すれば、日本単独での英米開戦は出来ないとの結論となる。多分、東条英機と山本五十六の考えそうなことは、対英米戦は回避し、蘭領インドネシアを占領して原油基地を奪取し石油を輸入する作戦であろう。
 前例がある。ドイツはフランスを攻撃し、フランスは1940年6月22日降伏してしまう。日本はドイツ占領下にあるペタン将軍のビシー政府と交渉し、ドイツからフランスに圧力を掛けてもらい、1940年9月北部仏印への日本軍進駐を認めさせてしまう。かくして仏印は日本軍と仏軍の共同占領下となった。仏印は石油を産出しないから日本は仏印進駐により石油を得ることは出来なかったが、シンガポールへの攻撃基地を得た。
 蘭領インドネシアはオランダの植民地であるが、オランダはフランスと同じくドイツに降伏している。仏印進駐と同じことをすれば、日本軍は蘭領イントネシアに進駐できスマトラ島パレンパンの石油基地を入手できる。
 アメリカは日本の仏印進駐に対して不承認との声明を発するが、宣戦布告はしなかった。一応ドイツの脅迫下にあるとはいえ、フランスビシー政府の承認があったからである。国際法違反とは断言出来なかった。
 1942年日本が蘭領インドネシアを占領できれば、当面石油の心配がなくなる。日中戦争は継続できることとなる。英国は対ドイツ戦争に忙しくて蘭領インドネシアまで手が回らない。アメリカはまだ対独戦争の決断ができておらず、アメリカ世論はモンロー主義で世界大戦への不参加が主流であり、日本の蘭領インドネシアへの進駐だけでは対日開戦を決意できない。第一次世界大戦でアメリカの参戦が遅れたのと同じ状況が1941〜42年にあったのである。英米は抗議声明だけをだして、決着はドイツ戦の後に回したであろう。
 また、以下のようなことも考えられる。
 アメリカが対日開戦を決意し、全国民がリメンバーパールハーバーと叫び、志願兵募集所に殺到したのは、真珠湾攻撃が無通告開戦の卑怯なだまし討ちであったからである。もしも、東条英機と山本五十六がアメリカ人のヤンキー魂を理解しておれば、真珠湾攻撃を回避し、英国と蘭国に対してのみ宣戦布告し、シンガポールとインドネシアの占領作戦に限定し、アメリカから4年後の独立を約束されているフィリピンに対しては攻撃せず、アメリカが対日宣戦布告をしてインドネシアから日本への油槽船を攻撃した時に、フィリピン基地への攻撃を開始したであろう。ただし、それは英国とソ連による対ドイツ戦争の後半以降となる。
 日本に石油が手に入っても日中戦争に勝てない。相変わらずインド→ビルマの援蒋ルートでのアメリカの支援は続くし、中国大陸は広すぎる。地図を見なさい。南京は攻略できても、重慶まではたどり着けないのである。日本は大東亜共栄圏という経済ブロックで自活する計画であったが、蘭領インドネシアでは、原産品の貿易は成立しない。貧乏なインドネシアでは日本商品の買手がいない。占領下の中国から資源を略奪することはできても、中国国内では日本商品は売れない。日貨排撃のスローガンのもと、貨車ごと爆破されるだけである。日本国内の経済が逼迫し、やはり戦争は儲からないものだと日本人が気がつきだした1945年ドイツは降伏する。戦後英米がソ連を攻撃してくれれば日本は助かったが、歴史はこれを否定している。ドイツを降伏させて国際連合を発足させた英米ソ連と国連参加国は日本に中国・仏印・蘭領インドネシアからの撤兵を要求する。
 この頃、正気を取り戻した東条英機と山本五十六は撤兵を決意すればよかった。病気を装った天皇は偉いとの評判となる。かくして、平和は回復され、日本軍は帰郷し、大日本帝国は存続されることとなるが、民主化など出来るはずもなく、今でも軍人が威勢をはっていただろう。戦後民主主義が成長したのは、負けたお陰なのです。
 しかし、軍国主義日本が撤兵を拒否し、英米ソ連と国連参加国が対日宣戦布告をすることに発展することも大いにあり得た。英米ソ連と国連参加国の撤兵要求に屈するな、日本は神国であり、全世界を敵に回しても聖戦貫徹するという国論が支配的となる。撤兵派はテロに襲われる。
 1945年フィリピンはアメリカとの10年前の約束により独立しており、国軍をアメリカの支援により整備している。英米ソ連と国連参加国の対日作戦はフィリピンの基地から発進したアメリカ潜水艦とB29爆撃機による日本とインドネシアを結ぶ油槽船への攻撃である。当然日本軍はフィリピン攻略を決定し、無傷の日本艦隊を出動させる。空母加賀赤城飛龍蒼龍瑞鶴鶴大鳳信濃、戦艦大和武蔵陸奥長門など大艦隊が出動し、フィリピン占領作戦を展開する。しかし、迎え撃つ英米艦隊に大敗する。1941年の最新鋭機であったゼロ戦は新たに登場した英米のジェット機にボロ負けとなる。辛うじて上陸できた陸軍は新式装備のフィリピン陸軍に殲滅される。なにしろアメリカから独立できた誇りを持つ国民は強い。二度と植民地にならないという決意と戦意は堅い。結局、アジアを英米から解放するとの大東亜共栄圏は、中国国軍とフィリピン国軍との戦いで滅亡する。
 最後はアリューシャンのキスカ島から飛来したB29が東京に原爆を投下し、天皇は爆死する。日本の準皇族になっていた大韓帝国の王族李陸軍中佐は広島で原爆死している。お付きの陸軍将校はその朝偶々李中佐の出勤に同行できなかったことを恥じてその場で自決した。陸軍は李中佐の遺体をソウルに空輸し、8月15日韓式の葬儀を執り行っている。日本の韓国併合は過酷であったと現代の韓国では盛んに宣伝されているが、日本が韓国に対して礼節を尽くしたことは事実である。ただし、日韓併合反対派に対しては血の弾圧をした。この日韓併合論は別に書きたい。
 フィリピン海戦の生き残りの日本艦隊は東京湾に集結し、帝都救援に向かうが、B29は東京湾にも原爆を投下し、日本艦隊は全滅となる。満州とサハリンではソ連軍が侵攻し、日本人が苦難の道をたどることは同じである。
 天皇が爆死すれば、長野に疎開していた少年皇太子が即位するが、戦争継続はおぼつかない。日本の伝統では主将が戦死するか自害するか城に火がつけば降伏が決まりである。かくして、日本は国連参加国に対して無条件降伏することとなる。太平洋戦争での死者300万人と比較すれば、此の戦争では死者30万人程度で収まり、東京以外の都市は戦災を免れ、日本の工業は存続出来たであろうし、次に勃発する朝鮮戦争により工場はフル生産となり、日本の景気は急上昇し、一流の貿易国になり、講和条約調印により国際社会に復帰できたであろう。軍の降伏により軍国主義者は一掃され、憲法に民主主義と人権と戦争放棄が謳われる。
1941年12月8日、開戦を避けて独ソ戦戦況模様眺めにすれば、日本は救われた。開戦の時期、即ち戦機の選択は重要なことである。弁護士の私は提訴に当たり最も自戒することである。
 日本が聖戦貫徹などせずに、途中で停戦できる方法はあった。一つは1943年スターリングラードのドイツ軍降伏で独ソ戦の潮目が変わったと見られたとき、一つは1943年9月のイタリアの降伏である。しかし、日本軍部はまだ勝敗は分からないと意地を張り続けた。実際1943年に日本国内で停戦の動きはなかった。国会議員達も聖戦貫徹を叫び、勝利を疑う発言をすれば憲兵隊に逮捕されることを恐れていた。
 もう一つの節目は、1944年6月のマリアナ海戦での敗北である。ミッドウェイ開戦で日本軍は空母4隻と熟練パイロットを失ったが、その後2年間空軍の再建に国力を集中し、マリアナ開戦には空母9隻艦載機439機を準備できた。アメリカは空母16隻艦載機902機準備した。倍の違いがあるが、戦史では戦いの勢いと運気により勝つこともある。しかし、日本機は濃厚なピケットラインを突破できず、バタバタと撃墜され、アメリカ艦隊は無傷、日本艦隊は空母3隻が撃沈され、395機喪失した。
 もう、勝ち負けの軍配はアメリカに下ったことが明らかであった。しかし、開戦を怒号した者は敗北を認めず、負け恥の上乗りをし続けるのである。此の敗戦は国民に秘密にされ、戦争の前途に対する不安を漏らす者には鉄拳制裁がなされ、その末路は特攻隊の登場するフィリピン海戦、沖縄陸戦と続いた。負けてはいけないが、負けすぎることはもっといけない。
 マリアナ海戦の後に、日本が中立国を通じて停戦交渉を英米にしても、英米ソ連は単独講和禁止条約を締結していたので、日本の交渉に乗っては来ない。無条件降伏あるのみとの回答が来る。
 私ならば、一方的停戦宣言をする。
「日本軍を3月以内に中国大陸を含むすべての占領地から本土へ撤収する。
 日本軍から先行的攻撃はしない。ただし攻撃されたときは反撃する。
 日本は日独軍事同盟を破棄してドイツに対して宣戦布告する。ドイツはユダヤ人を絶 滅しようとしている。日本軍は人道主義者として集団殺害を受けているユダヤ人を救 済するためにドイツ軍と戦う。
 日本軍はソ連軍の承認の元に独ソ前線へ進撃し、ソ連軍と協力してドイツ軍を粉砕し、 ユダヤ人を救出する
 真珠湾攻撃以来の英米の損害の補償については、誠意をもって交渉する」

 マリアナ海戦のあった1944年6月は、ノルマンジー上陸作戦の時期である。ドイツを倒してから日本を倒す。ソ連はドイツを倒して東欧を占領し、次に日本を倒して、満州と北樺太千島列島を戴く作戦である。
 日本の一方的停戦宣言には、英米ソ連は反応が異なるであろう。ニューギニア、マキン、タラワで命知らずの日本兵と戦ってきた米軍将兵のなかから安堵感、帰郷が出来る、もう3年の帰郷していないのだ、との声が出る。日本が負けたと言っているのに何故戦い続ける必要があるのだ。アメリカ人は民主主義の国である。兵士の声はアメリカを動かす。
 かくして、占領地の日本軍は軍装のまま帰国し、一部は独ソ戦線に回る。多くは日本防衛に回される。本来ならば?没したであろう軍装品そのまま帰国できたので、昭和20年鉄砲がなく竹槍を作ったということは避けられる。英米ソ連が過酷な停戦賠償要求をしてきたとき、ならば戦うぞと言える。
 日本軍とソ連軍がベルリンに突入して第二次世界大戦は終了する。ソ連軍は満州を攻める口実を失う。そもそも日ソ中立条約は発効中である。日本軍は帰国するとき満州国を通過し、溥儀に対して自立を通告する。中国国民党軍は溥儀を逮捕するであろう。
 日本軍は一旦朝鮮にとどまるが、朝鮮を独立させるかどうかは世界の趨勢に従うこととなる。朝鮮王家に統治能力があるかどうかに任せるしかない。
 かくして、最後の1年間の100万人の死亡は回避できたはずである。
 何故、1944年に停戦を決意できなかったのか。勝てると言って開戦した軍人が体面を維持したいが余り全国民を引き込んで死地に落ちていったのである。
 イタリアは偉い。ムッソリーニとヒトラーに騙されていたことに気がつき、1943年7月にムッソリーニを打倒したバドリオ政府が8月にローマ無防備都市宣言をして戦禍を回避し、停戦を提案するも、米英ソ連は単独講和禁止を約束していたので拒絶され、やむなく9月に無条件降伏をした。無条件降伏であったが、戦後連合国はイタリアに寛大であった。
 日本軍の帰国後、英米ソ連は日本の始末に困るであろう。強攻めをすれば犠牲者が多すぎる。結局日本を4島に押し込め軍備を削減させ、賠償金を課す・・・要するに第一次世界大戦後のベルサイユ条約位のことで、日本の独立は維持されたであろう。此の策を提言した日本人はいなかった。

 金正恩はイスラム国崩壊のあと如何なる作戦を考えるか。
 単独で戦争を始めるであろうか。もともとイスラム国など軍事同盟の眼中になかったというのを公式見解とするであろう。
 この11月アメリカは北朝鮮をテロ国家再指定を行い、今まで隠れ北朝鮮支援国家の中国もロシアも北朝鮮への貿易制限に踏み切った。これは北朝鮮経済をじわじわと締め上げるあろう。もうすぐ1941年12月8日の日本のような経済状況になる。金正恩は模様眺めをしたいが、見るべき模様がないのだ。期待したイスラム国は崩壊した。再建するではあろうが何年先か分からない。同盟国がいないから、単独開戦するか否かの決断を迫られる。北朝鮮の田舎で餓死者が続出すれば一揆が起こる。軍の中ではあまりにも理不尽な粛正が続き、軍官の誰もかが不安に襲われている。クーデター勃発の可能性が高まる。金正恩は親衛隊を強化し粛正に努めるが、1944年7月20日ドイツのシュタヘンベルグ陸軍大佐によるヒトラー暗殺未遂事件が想起される。この事件はヒトラー爆殺成功と共にクーデターを起こすという組織的なもので、成功しておればこの時第二次世界大戦の内の欧州戦争は終結していた。日本は戦争継続を計るが、もう持たない。ドイツ頼りの太平洋戦争だったからである。ドイツ降伏の時、前途を見通し、ついでに降伏しようという軍人はいなかった。民間人の中にその動きが出始めたが、憲兵隊が逮捕してしまった。
 1944年6月マリアナ海戦で日本海軍は壊滅的敗北を喫した。1942年6月のミッドウエイ海戦で打撃を受けた航空戦力を補充しえたものが一日で壊滅した。もう熟練のパイロットはいなくなり、もうこの時勝ち負けは決定されたのであるが、軍人はなお戦争の勝利にこだわった。メンツだけの話である。軍事論では、負けないこと、特に負けすぎないことが大事である。弁護士の私は訴訟展開中いつもこのことを考える。
 
金正恩は孤独だ。相談相手はいない。相談された軍人は迷惑である。金正恩の期待する返事をしなければ嫌われて粛正される。金正恩は敗北を嫌悪する。イスラム国に水爆を売りつけて世界大乱を引き起こし、アメリカを西に向かわせる作戦はもう無理である。餓死者が続出すれば、北朝鮮から中国ロシアへの亡命者が続出し、やがて国境警備隊全員が亡命し始めることも起こる。ベルリンの壁は市民により破壊され、軍は止めようとはしなかった。金がない。食糧もない。水爆やミサイル用の電子部品が買えなくなる日が切迫してくる。国民を統制する為には戦争しかないと決断するであろう。ない金と食糧はどうして調達するのか。敵から奪うことである。東北アジアに限らず、全世界の戦争の歴史的実態は略奪と強姦である。
やる作戦はこうであろう。
 38度線からの南進よりも、先に韓国の後背地たる日本占領作戦を行う。