歴史評論 3
 「真珠湾の騙し討ち」
昭和16年12月8日日本軍はハワイ真珠湾アメリカ海軍基地を攻撃したのであるが、ワシントン駐在の野村・来栖大使がハル国務長官を尋ねて最後通牒を手渡したのが、ワシントン時間の午後2時20分であり、真珠湾攻撃は一時間前に始まっていた。東京外務省はワシントン大使館に対して7日午後1時に手渡せと6日午後2時に訓電していたか゛、大使館は6日夜館員の歓送会で多忙で、7日出勤した書記官が慌てて最後通牒の電文を解読してタイプしたが、指定時間に間に合わず、ハル国務長官に届けたときは、攻撃が始まっていた。大使館では、対米宣戦布告など露知らず、緊張感がなかった。
 ルーズベルト大統領は、日本が騙まし討ちをしたと非難し、アメリカ国民は一挙に対日開戦の決意を固めることになった。アメリカ議会では、対日開戦について審議が始まり、議員全員の討論を行い、女性議員一人の反対を除いて対日開戦を決定した。
 アメリカには、元来中立・平和のモンロー主義があり、アメリカ大陸外の戦争に対しては、中立主義を取っていた。第一次大戦では、モンロー主義の影響があり、アメリカはなかなか参戦しなかったのであるが、最後にようやく参戦したのである。
 第一次大戦後、戦死者続出の教訓から、モンロー主義は強くなり、ナチスドイツがフランスを打倒し、イギリスと本格戦争をしている1940年になっても、アメリカ世論はモンロー主義により中立を強く主張していたのである。特に第一次大戦で子供をなくした女性たちは平和と中立を叫んでいたのである。
 ルーズベルト大統領は、イギリスと同盟し、日独と開戦したい一心であった。なぜならば、ニューディール経済政策が行き詰まりをみせ、戦争軍需景気を沸きたたせない限り、恐慌に突入する寸前の経済状態だったのである。軍需による過剰生産と戦争による過剰浪費の連鎖の中で、経済の刺激的発展を期そうとしたのである。ルーズベルト大統領の願いは、対日独に対する開戦即ち、第二次大戦による景気回復、アメリカによる世界支配なのであった。しかし、モンロー主義のアメリカ婦人の平和への合唱により、ルーズベルト大統領の願いは実現困難な状況であった。
 このとき、日本が無通告奇襲をしたのである。アメリカ世論は激昂し、騙まし討ちの日本に懲罰を与えよ、と世論一致で戦争開始の大合唱となった。
 もしも、日本の最後通牒が間にあっていれば、こんなアメリカ国民の反応とはならなかった。議会の反対者はたった一人の絶対的平和主義の女性議員であったが、間にあっていれば、もっと反対の議員がいたであろうし、また議会で、何故日本は戦うのか、アメリカに非はないのか、ルーズベルト大統領は戦争回避の為の外交交渉をしてきたのか、という議論が出た筈なのである。
 無通告開戦、たったこれだけの事実で、アメリカの議会と国民は、このような議論は一切ふっとばし、対日開戦の大合唱となり、報復、血の復讐を決心したのである。 更に、目には目を、歯には歯を、国際法違反の戦争に対しては、容赦のない制裁を、ということになり、ジャップには死を、都市には無差別攻撃で火あぶりにせよ、と発展していったのである。
 山本五十六元帥は、最後通牒が攻撃前に届いたかを苦にしていたのである。彼の戦略は、早期に一回二回勝利してアメリカに人的損失を強いれば、アメリカ国民が厭戦気分に浸り、政変が起こり、ルーズベルト大統領が失脚し、中国を日本に譲り渡す位のことで和平ができると期待していたのである。これも全部御破算になったのです。同じようにイラク内戦が泥沼に陥ると、英雄ブッシュ大統領は失脚する危険がある。
 日本の最後通牒には、何故日本が開戦せざるをえなくなったか、アメリカの対応の不当さを長々と指摘しているが、無通告開戦で、アメリカ人の誰も読まなくなってしまったのである。
 日本は、欧米のアジア支配から解放することを開戦の大義にしていた。この大義が正しいかは、論争があるが、無通告開戦は、大義の存在さえ、アメリカ人に知らせることをやめにしてしまったのである。
  
 日本は、その後無通告開戦の事実を頬かむりしたまま戦争を継続する。しかし、この頬かむりがよくないと思う。
 日本は声明を発表すればよかったのである。
 「最後通牒の交付が遅れたことを遺憾とする。責任者の野村・来栖大使を罷免する。この結果戦死し
  たアメリカ軍民に対して深い弔意を奉げ、日本は戦死者に対して補償の責任のあることを宣言する」

 この声明を聞いたアメリカ人は、騙まし討ちの興奮から醒めて、日本は対等に話し合いをすることができる相手である。日本の開戦理由とは何か、ルーズベルト大統領には戦争回避政策があったのか、を考え始めるきっかけになったであろう。
 日本の都市に対する無差別爆撃も躊躇することになったであろう。

 そんな声明を発表したら、敵に金を払わないかんではないか、とのご批判があるとは思う。
 昭和20年はじめ、日本の赤十字船がシンガポールから日本向けて出帆し、台湾沖でアメリカ潜水艦の雷撃で沈没し、何千人の死者を出したことがあった。赤十字船は無害航海が保証され、アメリカ潜水艦にも航路を連絡してあったが、誤認雷撃をしてしまったのである。日本政府の抗議に対して、アメリカ政府は、遺憾の意を表し、潜水艦艦長を罷免している。サンフランシスコ講和条約では、日本がアメリカに対する補償請求権を放棄することで法的に決着が付けられている。
 これと同じことであり、日本が真珠湾の補償責任を宣言したところで、戦争に勝っておれば、アメリカに補償請求権を放棄させればよいし、負けておれば・・実際負けた訳で、日本はアメリカに金銭の補償は何もせずに済んでいるのである。
 太平洋戦争の頃の軍部政府は何もかも異常なのであり、国際法としてなすべきことをなにもせず、日本の開戦理由をアメリカ人に知らせる意思もなかったのである。
 交渉でも、商売でも、裁判でも、戦争でも、自分の意思の何たるかを相手に伝えることから始まる。伝えることにより、こちらと相手は当事者になるのである。お互いに当事者であることを認め合い、守るべきルールを合意しないと、適正な解決ができなくなる。無制限デスマッチに突入し、地獄まで落ちることとなる。