思想・信教の自由 (第19〜20条)
( 現行条文 )
第19条
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第20条
@信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
( 改正案 )
 現行条文の改正の必要はない。
 第20条に以下を追加したい。

C宗教者は、選挙に際し、信徒に対して、特定の立候補者及び政党に対して投票するよう号令をしては 
 ならない。
D信徒の宗教団体又は宗教者に対する寄付、寄進は、10年間に限り自由に取り消して返還を求めることができる。
 
C項ついて
 宗教の世界にあっては、言論の自由は存在しない。信徒の投票で祭主を決定することはない。祭主が信徒に対して全般的支配権があり、独裁の小世界なのである。
 古来、世俗政治は、宗教に支配されて混乱した経験から、宗教をいかに遠ざけるかが、問題であった。平安京への遷都は奈良の宗教からの脱出が動機だったのである。
 選挙の時に、祭主から特定候補者への投票を指示された信徒は、絶対に服従するであろうし、広く投票勧誘のために走り回るであろう。ここには、言論の自由はなく、帰依が絶対なのである。オウム真理教の事件を記憶していますか。
  第20条は、政教分離を規定するものであり、国教は否定されている。創価学会はかって国立戒壇設置を掲げ、国教化を目指していたが、その後改めている。しかし、日蓮宗の他の信徒団体のなかには、いまだに国立戒壇を目指す原理主義者がいる。
  オウム真理教は、国教化を目的とし、反対者には、殺してやることが為になると信じており、この麻原教祖の殺人指令を何人もの信徒が従ったのは、宗教の恐ろしさを示すものである。しかし、宗教者はそれを恐ろしいことは思っていないことが、問題なのである。
 近代憲法としては、宗教とは一番難問題であり、敬遠しておくべきものであり、宗教施設は山の中に閉じ込めたいくらいなのである。
 憲法の民主主義では、選挙における投票の自由が一番重要なことであり、これが侵されれば、民主主義が失われる。宗教指導者と信徒の関係が、絶対服従の関係であり、言論の自由が存在し得ない実態からすれば、宗教者の信教・言論の自由は、選挙に際して、一部制限されてもよいこととなる。したがって、選挙期間中、宗教者が信徒に対して、特定候補者及び特定政党への投票を号令することを禁止することにした。
 「号令」と記載したのは、まさに号令として投票命令することを意味し、単に私的見解の表示にとどまらない段階を示す。扇動・教唆の類と言ってよい。
 宗教は恐ろしい。又どんな危険な宗教が登場するか、分からない。憲法は宗教に対する自衛策を用意しておかないと、民主主義を失うこととなろう。イスラム世界を見れば、それが分かる。
D項について
 信徒の寄進、寄付は、民法上贈与と言える。贈与は、無償行為であるから、相手の承諾なく、自由に取り消すことができるが、履行済みの贈与は取り消すことができないことになっている。もらった人の期待権を侵害するからである。
 最近、新興宗教に入信した人が全財産を寄付したが、その後退会して財産の返還を請求した裁判で、裁判所は返還を認めている。その理由は、「寄付した財産の返還を認めないと、退会するという思想の自由が侵されることとなる。返還してもらえなければ、良心に反してその宗教に留まることを強いられる」としている。
 貰ったものは返せばよい、というのが、常識である。民法の「履行済みの贈与は取り消すことができない」は変更されるべきである。ただ時効の問題はあるから、10年間に限り、寄進寄付の取り消しを認めればよい。
 信徒がその時信じて寄付しても、その後寄付したことが過ちと気がついた場合、返還を認めないと、信徒の信教の自由を否定することになる。
 坊主丸儲けと言う喩えがあるが、信徒の誤解による寄付を溜め込むべきではない。宗教団体は、10年間寄付金は仮受金として記帳し、10年後改めればよい。