柳沢大臣の女性は産む機械発言と天皇機関説 20070205 
 柳沢大臣が女性を産む機械に喩えた発言をして、野党が辞任を要求し国会審議が止まっている。昭和初期の天皇機関説事件に似ている。美濃部達吉東京帝国大学教授・貴族院議員は憲法学の権威であるが、国家論を論じ、国家は法人であり、天皇は国家機関であると提唱した。これに対して天皇は神であり、機関車に喩えるとは神聖天皇を冒涜する、天皇は機関車でなければ、国家機関でもない、神そのものである、と批判され、美濃部は公職から辞任を余儀なくさせられた事件があった。昭和天皇は、何故機関でいかんのか、と美濃部説に理解を示していたが、右翼から美濃部に自刃勧告状が送りつけられ、その後政府による国体明徴運動、国家総動員体制へとファシズムへの傾斜が進むのである。
  戦前のファッショ時代のことであったが、戦後反省され、学問の自由、言論の自由が確立された。言論の自由とは敵対者の言論の自由を擁護すること、他者の言論の自由に対する寛容の精神である。これは民主主義の大原則であり、天皇機関説事件を記憶する者にとっては、忘れることの出来ないことである。
 しかるに、野党は女性を生む機械に喩えた発言を政争の具とし、辞任を要求し、国会審議を空転させようとしている。柳沢大臣は発言の直後に表現が誤解を招くことを察して即時取り消して陳謝している。ならば終わった件である。それを政争の具にしようとは不当である。国家審議は政策を争うべきものであり、言葉尻をとらえて人格非難をすることではない。野党は政策で争うことが出来ない無能を露呈させている。
 言論の自由としての批判は結構であるが、辞任を強要したり、国会審議を止めることは、美濃部弾圧と同じ事である。
 女性が産む機械ならば、男は種付けマシンと比喩してもいいではないか。人口増加の為に種付けマシンをフル稼働させよと言ってもよい。だからといって抗議する男はいない。
 天皇機関説も、天皇神聖説も、女性機械説も、男種付けマシン説も、自由に言論すれば良いことであり、相互批判は結構なことである。しかし、迫害はよくないし、公職からの辞任要求とか政争の具にすることは正しくない。野党は政策で議論すべきである。
 文字とか言葉には歴史的意味がある。意味があることを前提として用い続けてきたのであり、消し去ろうとすべきではない。婦人の婦の文字は箒を持つ人の意味であり、女を家事労働に拘束する意味であるから用いるべきではないと言う人がおり、婦人会館が女性会館に公費で看板の塗り直しがされたこともあったが、そもそも女の文字は妊娠した人の象形であり、妊娠できない人からは差別文字と言われかねない。ならば男はどうなる。田圃の力となるが、抗議する男はいない。
 差別文字と言えるとしても、長い歴史の中で生まれて用いられ続けたのであり、言葉狩りとか文字狩りをして消し去ることは文明の否定となる。